大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

岡山地方裁判所 昭和55年(ワ)358号 判決

原告

田中敏夫

被告

トーフレ株式会社

ほか一名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対して、連帯して一〇〇六万二六五七円及び内金九二六万二六五七円に対する昭和五三年九月二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

原告は次の事故によつて受傷した。

(一) 発生日時 昭和五三年九月一日午前一一時頃

(二) 発生地 都窪郡早島町早島三〇〇一番地先国道二号線路上

(三) 車両

(1) 甲車 普通貨物自動車

運転者 被告毛笠

(2) 乙車 普通乗用自動車

運転者 原告

(四) 事故の態様 甲車が乙車の後部に追突

(五) 原告の受傷 頸部捻挫、腰椎捻挫

2  責任

(一) 被告毛笠

脇見運転による前方不注視の過失

(二) 被告トーフレ株式会社

同被告は、甲車を所有して、被告毛笠をして同車を運行の用に供していた。

(三) したがつて、被告毛笠は民法七〇九条により、また被告会社は自賠法三条により、本件事故によつて原告に生じた損害を賠償する責任がある。

3  損害

(一) 原告は本件事故によつて、昭和五三年九月四日から翌五四年三月二四日までと同年七月一三日から九月六日までの合計二五八日間の入院治療、昭和五四年四月一三日から六月一一日までと同年九月七日から一〇月一七日までの合計一〇一日間(内治療実日数二〇日間)の通院治療を要した。

(二) 休業損害 九三六万二六五七円

原告は、本件事故当時、第一生命保険相互会社岡山支店に外務員として勤務し、昭和五二年一月から一二月までの年間収入(給与と賞与の総額)は八七一万七七八一円であつた。しかしながら、原告は右事故によつて、昭和五三年九月四日から昭和五四年九月三〇日まで三九二日間に亘り、欠勤を余儀なく強いられ、右仕事に従事できなかつた。

したがつて、原告は、次式のとおり、右期間に得るべき収入九三六万二六五七円の休業損害を受けた。

八、七一七、七八一×(三九二÷三六五)=九、三六二、六五七

(三) 慰謝料 一二五万〇〇〇〇円

(四) 弁護士費用 八〇万〇〇〇〇円

4  よつて、原告は、被告らに対して、連帯して右損害賠償金から既に弁済を受けた金額を控除した残額一〇〇六万二六五七円及び弁護士費用を除く内金九二六万二六五七円に対する本件事故の翌日である昭和五三年九月二日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び主張

1  認否

(一) 請求原因1の事実のうち、(五)は知らないが、その余は認める。

(二) 同2の事実は認める。

(三) 同3の事実は知らない。

原告が本件事故によつて受傷したとしても、それは後記のとおり軽度な頸部捻挫の症状で、治療期間も最大限見て三か月程度であり、休業期間もこれを超えるものではなく、またその休業期間中の原告の減収もその仕事柄、その主張するような多額に昇るものではない。

2  主張

(一) 本件事故による原告の受傷の程度

(1) 本件事故は、被告毛笠運転の甲車が渋滞中のため時速約一五kmで進行していた際、乙車へ追突したもので、これによる乙車自体の損傷も後部バンパーに付属するゴムが切れた程度で、また乙車は大型乗用車(トヨタクラウンMS六〇型)で衝撃を吸収し易い構造になつていることから、追突時の原告に対する衝撃は軽微なものであり、原告主張のような重篤な腰椎捻挫の傷害が生じるようなことはない。

(2) さらに原告は、昭和五三年一一月三〇日頃、本件事故による治療を受けていた主治医から、同年一二月末頃就労可能との見込みもでていたにも拘らず、その後も自ら他に転入院する等して、恣意的に治療を長期化させていた疑いがある。

(二) 本件事故前の原告の既往歴

(1) 原告は本件事故前に次のような既往歴があつた。

a 昭和四七年七月一一日の交通事故による頭部外傷、頸部捻挫等の受傷で、同日から昭和四九年一月二一日まで加療、後遺症一四級九号の認定

b 昭和四八年七月一七日の追突事故による頸椎捻挫等の受傷で、同日から昭和四九年一月一〇日まで加療

c 昭和四九年四月八日の追突事故による頸椎捻挫、頸部背椎症等の受傷で、同日から同年一一月一九日まで加療

d バス乗降中のステツプからの転落による右足関節捻挫等の受傷で、昭和五〇年五月五日から同年七月三一日まで加療

e 昭和五一年五月頃外傷を受け、左足関節捻挫、左下腿打撲症、腰痛、腰筋捻挫等で、同年八月六日頃まで加療

f 歩行中の転倒による左胸・肩打撲挫傷の受傷で、昭和五三年四月二八日から同年七月一七日まで加療

(2) 右のとおり、原告は本件事故前に頸椎捻挫を数回に亘り受傷したことにより、現在では頸椎に退行変性による骨棘形成が認められ、また腰椎も老化現象による同様の骨棘形成が疑われるものである。

(三) 以上の情況を総合すれば、本件事故の受傷によつて、原告が主張するような症状が生じたものとはいい難く、事故との因果関係はない。

3  右主張に対する原告の認否

(一) 被告の主張(一)の(1)の点は争う。追突時の乙車の速度は時速約四〇kmであつたから、それよりも高速で甲車が追突し、その衝撃も大きいものであつた。

同(2)の点は否認する。

(二) 同(二)の(1)の点は認め、(2)の点は争う。

三  抗弁

被告らは、原告に対して、本件事故の損害賠償の填補として、治療費七八万三六五〇円及び内払金一五五万二〇二五円の合計二三三万五六七五円を支払つた。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実のうち、内払金の点は、原告が一三五万円を受領したことは認めるが、その余は否認し、治療費の支払の点は知らない。

第三証拠

本件記録中の証拠に関する目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  本件事故の発生

1  請求原因1の(一)ないし(四)の事実は、当事者間に争いがない。

2  同1の(五)(原告の受傷)の点については、後記三で認定するとおり、原告が本件事故によつて頸部捻挫及び腰椎捻挫の傷害を受けたことが認められる。

二  被告らの責任

同2の事実は当事者間に争いがない。

したがつて、被告毛笠は民法七〇九条により、また被告会社は自賠法三条により、本件事故によつて原告に生じた損害を賠償する責任がある。

三  原告の本件事故による受傷と損害の因果関係

1  本件事故の具体的態様と衝撃の程度

(一)  成立に争いのない甲第四号証の一、各原本の存在及びその成立に争いのない甲第四号証の二乃至五、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によつて成立が認められる乙第一三号証の一乃至三、証人吉川泰輔の証言によつて成立の認められる乙第三五号証、原告本人及び被告本人の各尋問の結果と弁論の全趣旨によつて、本件事故後の甲車及び乙車の写真であることが認められる検乙第一号証乃至第一一号証、証人吉川泰輔の証言、原告本人(一部)及び被告本人の各尋問の結果によれば、次の事実が認められ、この認定に反する部分の原告本人尋問の結果は、後記のとおり措信し難く、他にこの認定を左右するに足りる証拠もない。

イ 被告毛笠は甲車を運転して片側二車線の国道二号線下り車線を、岡山から倉敷に向け時速六〇km位の速度で進行し、本件事故現場の手前約一kmの地点まで来たところ、そこから先が道路工事のため走行車線が中央寄り一車線のみとなり、前方がかなり渋滞していたことから、時速を二五ないし三〇kmに減速して原告運転の乙車の七m位後方を追従進行した。甲車が本件事故現場に差掛かつた際、同被告は進路前方から一瞬目を離し、その後前方を見た時は、減速して進行していた乙車後方約三m手前までに自車が接近しているのに気付き、乙車に追突する危険を感じた。そこで追突を回避するため、同被告はハンドルをやや左に切るような状態で急ブレーキを掛けたが、間に合わず自車前部を乙車後部に追突接触させた。甲車は追突してすぐにその場に急停車したが、一方乙車はその場に停車しないでそのまま進行した。そこで同被告は直に甲車を運転し、乙車の後を追う形で進行し、約一km先のバス停留所側で停車した乙車の後に停車した。同被告は下車し、乙車から下車してきた原告に対し、負傷の有無を尋ねたところ、原告から格別異常がないとの回答をえた。そして原告と同被告はそれぞれの車体の損傷を調べたが、双方の損傷もたいしたことがなかつたため、事故を警察に届けず、その修理をそれぞれが自己負担することで合意した。その際、同被告は念のため原告に自己の名刺を渡して、原告と別れた。

ところが、原告は事故から三時間位した後、首に張るような感じがあり、吐き気や頭痛もしたので、直ぐに倉敷警察署に本件事故の届出をし、他方、翌日同被告に対して、首が痛くなつたので、保険請求の事故証明書を得るため警察に事故届けをした旨の電話を入れた。後日原告と同被告は警察で事故についての取調べを受けたが、警察は本件事故を物損事故扱いとして、同被告に対する処罰はなかつた。

ロ 甲車はトヨタパブリカのバン型貨物自動車で、その車両重量は七〇〇kgで、本件事故当時三〇kg程度の荷物を積載していた。右追突による同車の損傷部位及び程度は、右フオグランプのレンズ部分が破損し、ランプ自体もラジエーターグリルに若干押込まれ、フロントナンバープレートの左側部分に凹損が生じ、右側フロントバンパー及びその本体部分が若干変形している状態にあつた。

他方、乙車はトヨタクラウンのセダン型乗用車で、車両重量が甲車の倍近くの一三六〇kgであり、右追突による同車の損傷部位及び程度は、リヤバンパーとアツパーバンパーが若干変形し、左側が車両本体に接着し、このため左リヤークオータしパネルも若干変形しているものの、右側のバンパーは左側と比較して本体との間に間隔が残つている状態で、この修理代金が五万五〇〇〇円と見積もられた。

以上の事実が認められ、原告本人尋問の結果中「追突時の乙車の速度は時速四〇kmであつたので、甲車はこれ以上の速度であつた」とする部分は、右認定した本件事故現場の渋滞状況や、各車両の損傷程度からして、俄に措信し難く、他に右認定に反する証拠もない。

(二)  右認定した事実によると、本件事故は時速二五ないし三〇kmで進行していた甲車が、急ブレーキを掛け、左斜めの状態になりながら、乙車に追突接触したものであるが、原告運転の乙車も追突時に進行中であり、かつその場に直ちに停車することなく、そのまま一kmも進行したことや、車両重量が甲車と比較して、追突された乙車の方が重く、また各車両の損傷も僅かであることからすれば、その衝撃は軽度であつたと推認される。しかしながら、原告本人尋問の結果に、甲車がブレーキを掛けたとはいえ、それが追突直前三mの地点であることを考え併せれば、その衝撃は身体に影響を与えうる程度のものであつたこともまた認められる。

もつとも、原告はその本人尋問で、「追突の衝撃によつて、自分の上半身が座席後方に投出され、二回程度首が大きく弓なりになつた」と供述し、追突時の衝撃がかなり大きいものであることを窺わす供述となつているが、乙車が事故現場で停車することなく進行したことや、右認定した事故の態様から見れば、右供述部分は被害者の立場を強調するために誇張して表現しているものと思われる。したがつて、原告の右供述があるからといつて、これをもつて右推認した点を覆す証拠とはなりえない。

2  原告の本件事故後の治療経過及び症状

各成立に争いのない乙第三号証乃至第一〇号証、第二二号証乃至第二八号証、第二九号証の一乃至一六、第三〇号証の一乃至五、第三一号証、第三二号証の一乃至八、第三三号証の一乃至五、第三四号証、第五〇号証、第五六号証、平野外科医院における本件事故後の原告のレントゲン写真であることに争いのない検乙第一二号証乃至第二一号証、証人平野健策及び証人丹羽信善の各証言、原告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

(一)  原告が本件事故の翌日(昭和五三年九月二日)に岡本整形外科で診察を受け、その後、同月四日から昭和五四年一月六日まで平野外科医院に入院し、続いて同月八日から三月二四日まで湯原町立湯原温泉病院に入院したうえ、同病院を退院した後の同年四月一三日から六月一一日まで再び平野外科医院へ通院し、さらに同年七月一三日から九月六日まで同医院に入院したのち、同月七日から一〇月一七日まで同医院に通院していた。

(二)  原告運転の乙車が甲車に追突された際、原告は上半身を前後に揺さぶられたものの身体に格別異常を感じなかつたので、そのまま乙車を運転して生命保険の外交員としての仕事を継続していたところ、事故後三時間位経過して首に張る感じを覚え、また吐き気や頭痛もあつたことから、直ぐに警察に事故届をし、その際警察から四日に出頭するようにいわれた。他方原告は仕事の都合もあつて、事故当日医師の診察を受けることはしなかつた。

(三)  岡本整形外科での診察

事故翌日の二日、原告は岡本整形外科に赴き、前日の追突事故で夕方から悪心、頭痛があり、頸部が凝つたような状態にあると訴えて診察を受け、岡本吉正医師から五日間の通院加療を要する頸部捻挫との診断を受けた。同医師の所見は、頸椎の運動制限、頸部並びにその周囲に圧痛は認められるが、腱反射、筋力には異常は認められないというものであつた。なお、腰部に関する愁訴はなく、また愁訴したうち頭痛については、原告はまた同医師に対し、昭和四七年四月の事故以来続いているとも述べていた。

(四)  平野外科医院への第一回目の入院

イ 原告は、同月三日は通院することなく過ごし、翌四日の午前に被告毛笠と警察に本件事故の取調べを受けるため出頭し、実況見分や事情聴取を受けたが、その足で保険の顧客でもあつた平野健策医師の経営する平野外科医院に診察を受けにいつた。その際、原告は平野医師に対し、本件事故による吐き気、頭重感、頭痛、右上肢の痺れ感と、さらに腰痛も訴えて診察を受けたところ、同医師から頸部捻挫及び腰椎捻挫で絶対安静を要するとの診断を受け、入院を勧められて即日同医院に入院した。

ロ 右初診時の平野医師の所見は、原告の愁訴及び局所の触診とレントゲン検査を総合して判断されたものであるが、その所見としては次のようなものであつた。

即ち、頸部については、触診の結果、項部、肩甲骨に圧痛と筋肉の硬直が認められ、レントゲン検査からは、第四、第五、第六の頸椎に経年性の旧い骨棘が形成され、頸椎に変形が存在しているものの、これ自体は本件事故以前からもともとあつたものと認められるが、その骨棘が鮮明であることから、ここに原告主訴の外力が働いて軟部組織に炎症が生じ、これが頸椎の側を通る自律神経を圧迫した結果、原告の訴える吐き気、頭重感、頭痛、右上肢の痺れ感を起しているものと判断し、頸部捻挫と診断された。

また腰部については、その前後屈の運動制限があり、また触診の結果、背骨や座骨神経に圧痛と腰部筋肉の硬直も認められ、さらにレントゲン検査からは、加齢現象によつて第四、第五、第六の腰椎に骨棘が形成しかかつているものの、腰椎の全体が生理的湾曲性を失つて真直ぐに硬直していることから、これも同じく原告主訴の外力が加わつて変形性腰部脊椎症が生じ、腰部の圧痛を一時的に押えるために起つた緊張現象であると判断し、腰椎捻挫と診断された。

ハ 平野医師は、原告に吐き気等の自律神経的失調症状があるため、この増悪を防ぎ軽快するまでの間入院が必要と判断して、原告を入院させたうえ、安静、湿布、鎮痛剤・筋弛緩剤の投与や注射の治療を施し、三週間後位から頸椎と腰椎に対して牽引をなし、その結果、入院初期にみられた原告愁訴の吐き気、頭重感、頭痛、右上肢の痺れは次第に軽快していつた。しかし、その後原告が頸部痛や腰痛がさらに昂進した旨と肩凝りを訴えるため、牽引等の理学療法を続けたが、昭和五三年暮にいたつても、依然として歩行時の腰部の痛みを強く訴えるため、原告に温泉療法を勧めて湯原町立湯原温泉病院を紹介し、原告は昭和五四年一月六日、同病院に入院するため平野外科医院を退院した。

(五)  湯原温泉病院への転入院

原告は昭和五四年一月八日から湯原温泉病院に転入院したが、その愁訴は両肩、両首痛と腰を動かす時に痛みがある等であつた。同病院では、平野外科医院での診断名をそのまま踏襲して、愁訴の痛みに対して薬物及び理学的療法を施し、その結果、同年三月二四日に頸部捻挫及び腰椎捻挫が軽快したと診断されて、原告は退院した。

(六)  その後の治療経過

イ さらに原告は再び平野外科医院に通院し、主として腰部の牽引を受けた。

ロ その後原告が狭心症の発作を起し救急病院に入院したが、原告の希望から同年七月一三日から九月六日まで、腰部の治療も兼ねて再度平野外科医院に入院した後、同年九月七日からは通院したが、この頃にも腰部痛とともに軽い頸部痛も訴えていた。

ハ 同年一〇月一七日、原告は平野医師に対し、会社に復帰するために治癒の診断書が必要であつたため、その作成方を要請し、同医師から頸部捻挫及び腰椎捻挫が同日治癒した旨の診断書の作成交付を受け、これによつて勤務に復帰した。しかしながら、原告はその後も、肩凝りや頭痛の症状を訴えているが、通院はしていない。

3  原告の入院時の外出外泊状況

(一)  平野外科医院

前掲乙第五〇号証、証人平野健策の証言、原告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

(1) 原告は同医院へ入院して十日目の昭和五三年九月一三日に、歯槽膿漏による歯痛を訴え、その治療のため外出し、その後歯医者への通院や自己の仕事の都合から、同月一八日、二三日、さらに同月二九日から一〇月三日まで連続して外出し、また原告は仕事のため外泊したいと強く要望して、同月六日から九日まで外泊した。

(2) その後の原告の外出外泊状況は、同医院の「看護記録」(乙第五〇号証)によると、既に一〇月三日に「外出多し」との記載が現れ、続いて一一月二五日及び一二月一二日にも「外出多し」、「相変らず外出多し」と記載され、外出が記録に明記されている日を見ても、一〇月一六日、二〇日、二三日、二八日、二九日、一一月二日、一二日、一二月一四日、二三日、二八日に昇る。また外泊は、一二月一六日から一七日までと、年末年始に掛る同月三〇日から同五四年一月四日までの二回であつた。

(二)  湯原温泉病院

前掲乙第三〇号証の一乃至五、第三一号証、第三二号証の一乃至八によれば、原告の同病院での外泊状況は、裁判への出頭ということで昭和五四年一月一一日から一二日まで、また理由不明で同月二九日から三〇日まで、続けて業務整理という理由で同月三〇日から三一日まで、また裁判への出頭ということで二月九日から一一日まで、さらに結婚式へ出席という理由で三月一〇日から一二日まで、そして事務引継の理由で同月二二日から二三日までの合計六回にも亘つていたことが認められる。

4  本件事故前における原告の既往歴等

(一)  原告は本件事故以前に、被告主張の「本件事故前の原告の既往歴」の(1)記載のとおり、交通事故等によつて外傷を負つたことは、当事者間に争いがなく、これによると、原告は、昭和四七年から四九年の間、毎年交通事故によつて頸部捻挫又は頸椎捻挫の傷害を負い、かつ昭和五一年には外傷によつて、腰痛、腰筋捻挫の診断も受けている状況にあつたと認められる。

他方、成立に争いのない乙第四三号証の一乃至七によると、原告は本件事故以前から、脳血管障害、脳動脈硬化症、肝機能障害、脳底動脈循環不全症、高血圧症等の症病名で治療を受けていたことが認められるので、原告には右の内因性の疾患も本件事故以前から存していたものである。

(二)  各成立に争いのない乙第一五号証乃至第一九号証、原告本人尋問の結果によれば、右の交通事故等によつて、原告はその都度、保険会社から傷害による損害賠償金や、自己の掛けている傷害保険からの保険給付を受けていたことが認められる。

さらに、各成立に争いのない乙第二〇号証、第二一号証の一、原告本人尋問の結果に、弁論の全趣旨を併せれば、原告は本件事故当時、大正海上火災保険株式会社との間で、月額一〇万円と月額一五万円の二口の所得補償保険に、また住友海上火災保険株式会社とも月額四五万円の所得補償保険と保険金額五〇〇万円の普通傷害保険に加入していたこと、右保険契約に基づいて、原告は右各会社に本件事故の傷害による保険金請求をしたところ、各会社は昭和五三年一二月末に、原告に対し、告知義務違反があるという理由で、その支払を拒否すると共に、既に内払した金員の返還請求をしてきたことが認められる。

5  以上認定判断したことから、本件事故による原告の受傷内容及びその程度について、以下検討する。

(一)  頸部捻挫の点

(1) 本件事故による追突の衝撃は軽度ではあるが、乙車を運転していた原告の身体に影響を与えうる程度のものであり、その後の原告の愁訴する自覚症状や、これに対する岡本整形外科や平野外科医院における受診内容に照らせば、原告は本件事故により、頸部の軟部組織に炎症が起り、そのために自律神経を圧迫して自律神経失調症的な症状を呈するに至つたものと認めることができる。

もつとも、原告には頸椎そのものに変形が認められるものの、これは本件事故以前からある旧いもので、かつ原告を長期に診察した証人平野の証言によれば、本件事故の衝撃によつてその頸椎自体に影響を与えてこれを悪化させた結果、原告に前記のような自覚症状を発現させたものでないことも明らかである。

したがつて、証人平野の証言によれば、本件事故による頸部の受傷は、いわゆる頸椎自体に対するものではないため、原告の自覚症状との兼合いで頸部捻挫と診断したことが認められる。

(2) その程度について

イ 原告の本件事故後における自覚症状は、前記のとおり、外力によつて頸椎そのものに変形が生じたことを原因とするものではなく、頸椎の軟部組織に生じた炎症が原因となつているものである。

ところで、右の炎症が消失する時期は、証人平野の証言によれば、通常発症から二週間かせいぜい三週間後であることが認められる。一方前記認定した平野外科医院での原告の入院状況を見ると、同医院の入院期間中における原告の外出外泊が非常に多く、しかも入院して十日目に外出したのを初めとして、九月二九日から一〇月三日までは連続して外出を繰返し、さらに一〇月六日から九日にかけて外泊をしており、同医院の看護記録中にも、「外出多し」との記載が既に一〇月三日の欄に現れている。このことからすると、原告が外出を繰返し外泊の始まつた時期は、右炎症が一般的に消失すると予想される時期と照応している。

右に見た点や、前記認定した本件事故の態様、即ち事故そのものは軽微な追突事故であり、その衝撃も軽度であることからすると、原告の本件事故による頸部捻挫を原因とする器質的な障害は、事故の年の一〇月上旬には既に頸椎の軟部組織に生じた炎症が消失するとともに、その自覚症状も沈静化しえるものということができる。

ロ ところで、前記認定のとおり、原告が平野外科医院で入院治療を受けている間に、当初の頸部に関する愁訴であつた吐き気、頭重感、頭痛、右上肢の痺れ感は軽快していつたが、その後は頸部痛、肩凝りを強く愁訴しだしたことが認められ、かつ原告本人尋問の結果によれば、湯原温泉病院に転入院した以降も、頸部痛や肩凝りが残り、その後も頸部に関しても自覚症状が残存していることが認められる。

しかしながら、この点に関して、次のような事情も存在する。

a 証人平野の証言によれば、平野医師が原告に湯原温泉病院での温泉治療を勧めたのは、原告が強く腰部痛を愁訴しだし、一向に改善する兆しがないことによるもので、頸部に関する愁訴自体はこの頃あつたものの、それが転入院を勧めた直接の動機となつていなかつたことが認められる。

b 原告には本件事故以前から脳動脈硬化症や高血圧症等の内因性疾患があることは前記認定のとおりであるが、証人丹羽の証言によれば、原告が平野医師に対して訴えた前記自律神経失調症的な症状は、右の内因性疾患からの発現とも説明できるものであり、かつ原告本人尋問の結果によれば、その程度は別として、本件事故以前から原告には頭痛、肩凝りの症状があつたことも認められる。

c この内因性疾患と併せて、前記認定のとおり、原告は昭和四七年から昭和四九年にかけ、本件と同様の交通事故に遭い、いずれでも頸椎捻挫の傷害を負つた経験を有している。

d さらに、原告は昭和四七年から本件事故前年の五三年までの間、数度に亘る交通事故により保険会社から損害賠償金を受領し、かつ自らが契約していた所得補償保険等からも外傷による保険金を受領し、また本件事故の際にも保険会社二社との間で所得補償保険契約等を締結していたことは、前記認定したとおりである。

e また前記認定のとおり、本件事故当日に原告は頭痛等を覚え、直ぐに警察に事故届をなしたものの、治療は翌日になつて岡本整形外科で受けたが、それは、自己の所得補償保険等の請求の都合上事故証明書が必要なためから、警察にすぐに事故申告したこと、原告が当初診察を仰いだ岡本医師の診断は、「五日間の通院加療を要する頸部捻挫」と軽い傷害とされ、その後は通院せず、事故後四日目に警察での事故の取調べを受けた後に、原告はその足で平野外科医院に赴き、本件事故による自覚症状を愁訴して入院したことが認められる。この間の経緯については、原告本人尋問の結果によると、岡本医師の診断が頼りなくみえたので、知合いの平野医師の診察を受けたことが認められる。

以上見てきた諸事情からすると、原告が長期に亘り愁訴している頸部痛や肩凝りは、もともと有していた内因性疾患からの症状も合併している可能性を必ずしも否定できず、また本件事故前の受傷、これに伴う損害賠償金や自己契約の保険金取得経験、さらに本件事故の際に所得補償保険等に加入していた経緯、原告の本件事故に対する受診の態度からすると、本件事故を契機として、原告は頸部捻挫に関する痛み等に心因的に過剰反応し、その結果平野医師に対しても本来の症状以上の強い愁訴となつて現れ、かつ心因的な要因も手伝い、その治療を普通以上に長期化させたものと認めるのが相当である。

(二)  腰椎捻挫の点

(1) 本件事故との関係について

イ 前記認定したとおり、原告が本件事故による自覚症状の一つとして腰部痛を愁訴し、平野外科医院における原告の腰部に対する他覚的所見としては、レントゲン写真によつて、原告の腰部脊椎が生理的湾曲を喪失し変形しているところから、平野医師は、本件事故の外力によつて腰部脊椎が変形した結果、原告愁訴の腰部痛が生じたものと判断し、腰椎捻挫と診断したものである。

しかしながら、証人平野の証言によれば、原告の変形性腰部脊椎症とされる生理的湾曲の喪失は、原告の年齢(大正一四年二月二日生れ)からすると経年現象の結果ともみられ、そのレントゲン検査の結果でも、外力によるものか、経年現象によるものかは区別ができず、同医師としては原告の事故による訴えと勘案して外力によるものと判断したことが窺われる。

ロ ところで、証人丹羽の証言によれば、外力によつて変形性腰部脊椎症が生じた場合は、その直後から痛みが生じ、最大みても三日位のうちにその症状が起こるのが普通であり、また証人平野の証言でも、その痛みは直後から起きることの多いことが認められる。

そして、原告の腰痛の発現時期については、前記認定のとおり、平野医師に対する初診時に原告は腰部痛を訴えているが、原告本人尋問の結果によれば、腰痛は本件事故から一週間位して感じた旨を供述し、また前掲乙第五〇号証の看護記録によれば、平野外科医院に原告が入院して四日後の九月七日の欄には「腰部痛(-)」と記載され、その痛みがないことを示し、その後は腰痛に関する記載がなく、同月二一日の欄に初めて「相変らず腰痛(+)」と、その痛みを示す記載があり、さらに一一月六日の欄に「階段の昇り降りに腰痛(+)」との具体的記載のあることが認められる。このことからすると、原告が腰部の痛みを本格的に訴えだしたのは、本件事故からかなり経過した後であると認められる。

さらに前記認定のとおり、原告には本件事故以前に外力による腰部痛、腰筋捻挫の傷害があつたことも認められる。

ハ これらの点に、本件事故の態様とその衝撃の程度を考え併せれば、本件事故の外力によつて原告に腰部脊椎の変形が直接的に生じ、この結果腰部痛が発生したとも断定し難く、右の変形は経年性のものである可能性が強いともいいうる。

しかしながら、原告の腰部脊椎の変形が経年性であるとしても、なんらかの外力が加わらなければ腰部痛が発症しないことも、証人平野及び証人丹羽の証言から明らかであり、この点について、原告が本件事故後に腰部になんらかの衝撃を加えたと認めるに足りる証拠もなく、他方原告は平野医師に対して、その初診時に本件事故による腰部痛を愁訴し、かつまた本件事故による衝撃が原告の腰部脊椎に影響を与えた可能性も、その事故態様から見て全く否定することはできないところである。

ニ したがつて、原告の腰部痛は本件事故と全く因果関係がないとまではいえず、その因果関係自体は肯認しえる。

(2) ところで、本件事故と原告の腰部痛に因果関係があるとしても、その追突による衝撃の程度が軽度なものであり、かつ前記認定のとおり、原告の腰部痛に対する強い愁訴が平野外科医院に入院後ある程度時期を経過したのちであることや、前記頸部捻挫の項で認定説示した原告の入院時の外出外泊状況、本件事故以前の損害賠償金や自己契約による保険金取得経験、さらに本件事故の際に所得補償保険等に加入していた経緯、原告の本件事故に対する受診態度等からすると、原告の腰部痛に対する愁訴もやはり心因的側面が強く、これが治療を長期化させたものと認めるのが相当である。

6  賠償額の限度について

以上検討してきた諸点からすると、原告が本件事故によつて頸部捻挫及び腰椎捻挫の傷害を受けたものとは認められるが、その傷害の程度は軽度であり、原告が昭和五三年九月四日から翌五四年三月二四日までの間、平野外科医院及び湯原温泉病院に入院して治療を受けなければならない程のものではなく、その治療が長期化したのは原告の有する心因性の要素が極めて大きく関与した結果であるといえる。

したがつて、本件事故による受傷及びそれを契機として原告に生じた損害を全部被告らに負担させることは、公平の理念に照らして相当ではなく、過失相殺の規定の類推により、湯原温泉病院を退院した昭和五四年三月二四日までに発生した損害のうち、その四割の限度に減額して被告らに賠償責任を負担させるのが相当である。

四  損害

1  休業損害 三七九万五六七七円

(一)  各成立に争いのない甲第一号証、乙第三八号証、原告本人尋問の結果によれば、原告は本件事故当時満五三歳の男子で、第一生命保険相互会社の岡山支社の保険外交員として勤務していたところ、本件事故のため昭和五三年九月四日から一年余りの間、右勤務を休んでいたことが認められるから、昭和五三年九月四日から翌五四年三月二四日までの二〇二日間、原告は右外交員としての勤務を休業したことによるその賃金相当分の損害を被つたものと認められる。

(二)  ところで、右証拠及び成立に争いのない甲第二号証によれば、原告の昭和五二年の一年間における外勤手当及び成績手当を含む月給と二回支給される賞与を含み合計支給額は八七一万七七八一円であることが認められるので、原告は本件事故による休業期間中もこれと同額の割合による収入を得ることができたものということができる。

他方、前掲乙第三八号証によると、原告は右勤務先から、昭和五三年暮に九七万一七三二円と、昭和五四年夏に八八万七五二二円の各賞与を支給されていることが認められるので、右休業期間中の賃金相当損害金を算定するに際し、その基礎とする年額の収入から現実に支給を受けた右賞与額を控除するのが相当であると認められるので、その休業損害の基礎となる年額は六八五万八五二七円となる。

(三)  右認定した年額を基礎に原告の休業損害の額を計算すると、次式のとおり三七九万五六七七円(円未満切捨て、以下同様)となる。

六、八五八、五二七×(二〇二÷三六五)=三、七九五、六七七

2  慰藉料 一二〇万〇〇〇〇円

前記認定の原告の受傷内容、症状及び治療経過、その他諸般の事情(右症状に原告側の事情が寄与した点は別に考慮しているので、これを除く。)を考慮すると、本件事故により原告が昭和五四年三月二四日までに受けた精神的苦痛に対する慰藉料としては、一二〇万円をもつて相当と認める。

3  以上のとおり、原告が昭和五四年三月二四日までに受けた損害は、休業損害三七九万五六七七円と、慰藉料一二〇万円の合計四九九万五六七七円となるところ、前記三で説示したとおり、被告らは右のうち四割の限度でその賠償責任を負うものと解すべきであるから、その額は一九九万八二七〇円となる。

五  賠償額の有無

1  損害の填補

(一)  前掲乙第七号証、第八号証、各成立に争いのない乙第五一号証、第六〇号証の一と二に、弁論の全趣旨を併せれば、原告は本件事故による賠償金の内払金として保険から一五五万二〇二五円を受領していること、また保険から平野外科医院に対して、原告の本件事故による昭和五三年九月四日から同年一〇月三一日までの治療費として七六万四八七〇円が支払われていることが認められ、その余の治療費はこれを認めるに足りる証拠がない。

そうすると、右の内払金はその全額が前記四で認定した損害の填補に宛てられたものであり、かつ原告の本訴請求外である治療費についても、その昭和五四年三月二四日までの分のうち、その四割を超える部分は、もともと原告の請求しえないものであるから、その余の治療費四五万八九二二円(治療費支払分の六割)は原告の他の損害に充当されるものである。

(二)  したがつて、本件事故による治療費を除く損害に対する支払は二〇一万〇九四七円となるので、前記四で認定した損害はすべて填補されているものということになる。

2  弁護士費用

前記のとおり、被告らが原告に対し賠償すべき四認定の損害はすべて填補されており、原告は本訴においてこれを請求することは許されないのであるから、本訴追行のための弁護士費用は本件事故と相当因果関係のある損害と認めることができない。

六  結論

よつて、原告の本訴請求は理由がないので、これを棄却し、訴訟費用の負担については民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 安藤宗之)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例